2年生
1年の担任よりはましだった。
お弁当を忘れて、おにぎりをくれた。
引きつけを起こした時も、一緒に付き添ってくれた。
そういえば、父親がなくなる前も、引きつけを起こしたんだった。
なんだったんだろう?
成長するにつれて、引きつけは起こさなくなったけど。
2010年9月29日 01:27 | カテゴリー: 小学校
自分自身の人生のことなど
小学校
1年の担任よりはましだった。
お弁当を忘れて、おにぎりをくれた。
引きつけを起こした時も、一緒に付き添ってくれた。
そういえば、父親がなくなる前も、引きつけを起こしたんだった。
なんだったんだろう?
成長するにつれて、引きつけは起こさなくなったけど。
2010年9月29日 01:27 | カテゴリー: 小学校
実の父親がなくなってすぐの年。
母子家庭が珍しい時代だ。
生活保護を受けていて、私の給食費の袋に1年分、ハンコが押されてあった。
担任も結構嫌なやつ。
母は、生活保護を断った。
そして、工場で働き始めた。
私は、学校が終わった後、祖父の家にいることになった。
そのころは、今と違って「学童保育」なんてものはなかったから。
2010年9月29日 01:21 | カテゴリー: 小学校
母は、私が小学校3年生になった、2学期に再婚をした。
伯母(母の姉、現在絶好中)から、「新しいお父さんほしい?お母さんが、ほかの人と結婚してもいい?」と聞かれて、「うん、新しいお父さんが欲しい」と答えたのは、しっかりと覚えている。
義理の父は、母よりも随分年が上に見えた。
朝仕事に出かけて、夜になると帰ってくる。
母は、父と再婚したのでもう働く必要はなくなった。
母が家にいるので、私も祖父の家に行く必要がなくなった。
母が再婚する少し前に、ひいおばあさんが亡くなった。
祖父が亡くなったのは、私が6年生の時だった。
母のところへ親戚のおばさんたちが交代で泊まって、祖父の看病をした。
私もお見舞いに行きたかったのだけど、「あんたは行かなくていい」と言われていた。
私が「斜視」だったので、母は、世間体を考えて、私をなるべく人前に出さないようにしていた。
学校は「義務教育」だったから、仕方なしに行かせていたんだろう。
今だったら、家に閉じ込められて、虐待死していたかも?
義理の父は、私の眼のことなど気にはかけていなかった。
母に一目ぼれしたらしい。「子供がいてもかまわない、おれと結婚してほしい」といったらしいから。
母親が再婚したので、私に(父親の違う)きょうだいができる可能性もあったのだが、母は産まなかった。
2010年9月16日 01:16 | カテゴリー: 小学校
父親がいない、母親と子どもだけの世帯を「母子家庭」と呼ぶ。
母は、私を抱えて暮らさなくてはならなくなった。
母の姉(叔母)のお下がりの服を着ていただけなのに、「派手な服を着て」と陰口をたたかれたそうだ。
「何をして生活しとるだん」とおせっかいな人から言われたり。
借家の大家からは「母子寮にでも入ったらどうだ」とまで言われたとか。
亡くなった父は、酒が入っていないときはとてもまじめに働く人だったので、亡くなった後、私と母には「遺族年金」が支払われた。母が再婚するまでは、私と母の二人に、母の再婚後私が18歳の誕生日を迎えるまでは、私に。
当時は、今と違って、母子家庭も未亡人もバツイチも珍しい時代だった。
生活保護家庭は、肩身の狭い思いをしていた。
母は世間の人から冷たい視線と、言葉を浴びせられて、心を病み始めたのだろう。
母は普通の体だったが、父親はアルコール依存症だったので、二人の間に生まれた私は、生まれつき「斜視」という障害を持っていた。
もっとも、「障害者」と認定されていたわけではない。
私は、今では疑っているのだが、自分自身のことを、ほんの少し「知的障害あり」または「自閉症」のようなものもあるのではないかと思っている。
とにかく、再婚するまでの母は、私にはとても厳しかったし、怖い人だった。
母と過ごす時間よりも、祖父と過ごす時間の方が楽しかった。
祖父も祖母が亡くなってから、再婚をしていた。
私にとっては義理の「おばあちゃん」ということになるのだが、「おばあちゃん」ではなく「おばちゃん」と呼んでいた。
おばあちゃんは祖父のところにいた。(ほんとうは「ひいおばあちゃん」で、祖父の「母」である)。
斜視であっても、相手が年をとっているか若いか、祖父の家に年をとっていない義理のおばあちゃんがいる理由は、大人たちの話を聞いて子どもなりに理解できていた。
だから、「知的障害あり」とまではいかないんだろう。
ただし、自閉症は、まだ可能性としては残っている。
学校が終わった後、祖父の家に行くのが楽しみだった。
祖父は私と遊んでくれたわけではないが、カルガモの雛のように私がくっついて歩いても、嫌がらなかった。
友達と遊んでもらえないと、私が泣いて祖父のところへ戻ったら、「どうして仲間外れにするんだ」と本気で怒りに行ってくれた。
ずっと、学校の帰りにおじいちゃんの家に行けるものだと信じていた。
2010年9月16日 00:56 | カテゴリー: 小学校