どんなにつらくても笑っていよう

ひどくつらいということは今のところない。

けれども、つらい思いをしている人を知っている。

本人は自覚していないけれど、病気(心の)である。

つまり、私は毎日、病人の世話をしていることになる。

その人は、薬はきちんと飲んでいるが、何か待ち変えていると思う。

「薬を飲んで、家でじっと寝ていれば、治る」と。

本当に、「外へ出たくない」と思っているわけではない。

けれども、外のポストに(外といっても玄関)、新聞を取りに行くことすらしない。

買い物も人任せで、病院すらいつも私に付き添いを頼んでくる。

家の中を歩き回ることもできるし、トイレも自分でできる。

最近では、ほんの少し台所にも立てるようになった。

近所を知らないのなら、迎えに行くのだから、自分で店に入って買い物をしてほしい。

病院だって、長年通っているところなんだから、病院の送り迎えくらいはするけれど、診察くらいは一人で待っていてほしい。

毎日買い物をしてきてもらって、ほんの数時間一緒に過ごして、夜にはわざわざ電話をもらえる。

病院はいつも付き添ってもらえる。

なのに、不平不満ばかり。

過去に怒れたことをいまだに根に持っていて、恨み言を言っている。

テレビをかけていても、話をしていても、目は「笑って」いない。

本人に、「今の状態を少しでもよくしよう」という気持ちがないのだと思う。

自分は、こんな生活を始めてから、「死のう」と思ったことが何回もある。

今の母の状態は、何十年か後の自分の姿かもしれない、と思ってしまうから。

そうならないように、どんなにつらくても笑っていようと思う。

趣味に没頭して、親しくしている人と一緒に過ごしたり、ほんの少しばかりの自由な時間を満喫したい。

疲れていても、将来何もする気がなくなって、一日中、閉め切った部屋の中で、ボーとしているのは、「いやだ」。

私ならば、むしろその状態で、家族もいなかったら、病院に「入院」すると思う。

気を使うのは疲れるけど、一人よりはましだから。

今は、独りぼっちではないので、家に戻ったら好きなことをしているのだけど。

 

私以外の家族だって、つらい時や学校や仕事に行きたくないときだってあるだろう。

死んでしまいたいと思ったことももしかしたらあるかもしれない。

それでも、毎日起きて食事して、帰ってきて、みんなと食事をしてそして寝に行く。

ほんの少しの会話と、ほんの少しのいさかいと、ほんの少しの幸せな時。

今しか味わえないことだと思う。

人はいつかは年老いて死んでしまう。

病に倒れても、支えてくれる家族がいれば、なんとかなる。

毎日様子を見に来る人のことをもっと考えて、自分を変える努力をしてほしいと願うばかりだ。

それができないから、病気(心の)なのかもしれないが。