生まれてこなければよかった

このところつくづく思う。生まれてこなければよかった、と。

母はよく、「自分は不幸だ。幸せだったことなどなかった」と嘆いている。

二度の結婚、二度の死別、自分の子どもを持ち、孫を持ったこと、ひっくるめて「不幸だ」と嘆くのだ。

「いいこともあったけど」という言葉が出てこない。一度も。

つまり、私という子どもを持ったことも「不幸の一つである」と彼女は嘆いているわけだ。

母は、何を言うにしろするにしろ、「相手の身になって考える」ということはしな人。

自分の人生を嘆いて、娘を相手に愚痴をこぼすということが、どれだけ娘を傷つけているか分かっていない。

子どもは親を選べない、もちろん親だって子どもを選んで生んでいるわけではない。

けれども、親が子どもを産む以上は、子どもの性格の基礎となる部分は、かなり親の影響を受けていると思う。

子どもは親が育てや用にしか育たないものだ。

今の自分を嘆くなら、子どものときにもっと褒めてほしかった。

あの人は、私を褒めたことなど一度もない。

けなすことはあっても。

そして、うつ病でなくても、昔からヒステリーばかり起こしていた。

自分には甘いくせに、人がちょっとでも失敗をすると、烈火のごとく怒るのだ。

わずか5歳の子どもに、大人の分別を求め、できなければ、怒ったし、私は覚えていないが、手をあげたこともあったという。

「たたかなければわからない。言っても分からない子どもだったから」と。

もしも母のような人が、今の時代に子育てをしていたら、間違いなく子供を虐待して死なせるだろうと私は思っている。

私は、結婚して子を持つ母となっている今でも、あまり自分に自信を持てていない。

自立心もあまりないのだと思う。

全部が全部母のせいとは言わないけれど、私は家庭以外の場所では、人から褒められることはあった。

自分が強くならなければと思っていたから、努力できることは努力したし、いじめられることはあっても、耐えたし、立ち向かったこともある。

けれども、人が思っているほど強いわけじゃない。

ときには、弱気になってしまうこともある。

 

そんなとき思うのだ。「生まれてこなければよかった」と。

あの母のもとに生まれてこなければ、今とは違った人生を歩いていたかもしれない。

自分を見つめなおして、自分のこれからの人生を立て直したい。

今の自分をちゃんと生きられなければ、たとえ生まれ変わっても、同じような人生になってしまうかもしれない。

二度と母のような人のもとには生まれ帰宅はないから。