現在

絶望

もう死んでしまいたい。

というか、絶対に死んでやる!!!!

あんなくそ婆の面倒見るのはたくさん。

誰が死なせてやるか、こっちが先に死んでやるわ。

今よりもっと孤独になればいい。

生まれてこなければよかった。

あんな親なんか、もういなくなればいい。

私なんか生まれなかったことにしてくれればよかった。

アル中の子どもなんか、おろしてしまえばよかったのに。

そんなにモテモテなら、離婚すればよかったじゃんか。

どうせおばあさんだって、子どもを作ることには反対だったんだから、離婚すれば喜んだと思うし。

私なんか生む必要なんかなかったんだよ。

できれば本音をぶつけてやりたいけど、うちまで押しかけてきたり、夜中に電話がかかってきたらいやだから。

いっそのこと、外で大暴れして、誰かをぶっ殺してくれればいいのに。

そうすれば、うちも家庭崩壊して、こっちもあとくされなく死ねる。

こんなこと考えているなんて、あの女は知らないだろう。

私はあの女には何一つ本音を言うつもりはない。

勝手にわがまま言ってればいいさ、いっぱいいっぱいになったら、いつでも死んでやる。

御油の墓に入るのは嫌だけどね。

私が死んでも、あの女には1年は言わないようにしてほしい。

家出をしたとでも言っておいてほしい。

死んでから好き放題にされたらたまったもんじゃないから。

私がいるからいつまでも自立できないんじゃないの?

誰にも本音を言うつもりはない。

いつかいい日は来るとは思いたいけど、今の現状を見る限り、無理かなと思う。

死にたくて死ぬ人は本当はいないと思うけど、人の言うことを聞いてくれない人と付き合っていくのはしんどいのだ。

こっちにも相談相手がほしいというか、私が例えばうつ病とかになれば、あの人の面倒を見なくてもいいのかもしれないけど、私は病気になるのは嫌だし、医者も病院も大嫌いだし、信用できない。

ただ医者という人種は、勉強をして資格を持っているだけで、私たちと同じように、夜は寝るし、ご飯も食べるし、喜怒哀楽だってあるし、機嫌の悪いときだってある、普通の人間だ。

医者は別に神様じゃない。

間違えることだってあるし、患者とそりが合わないことだってある。

親と子も同じだと思う。

いくら血がつながっていても、そりが合わない親子だっているだろう。

私は納得がいかない。

同じ立場だったら、ひたすらに子どもの幸せを願うのが、親ってもんだと思うけど、子どもの幸せを壊してどうする?いくら親戚とはいえ、夜中に電話でわけわからないこと言ってどうする?私には悪口いうくせして、結局は電話している友達だって迷惑だぜ。こっちなんか、一度嫌いになった友達には二度と連絡しないけどね。

 

身勝手な母にうんざり

伯母の幼馴染から伯母の近況を電話で聴いたらしい。

幼馴染なんかくそくらえ。

余計なことを母の耳に入れないでほしい。

母はうつ病なんだから、あまり刺激するようなことは言ってほしくないのだ。

私は、伯母の近況のことは知っているし、私のところにも「あの人は二股かけている」なんて電話をよこしていたくらい。

母には何も言ってはいなかった。もちろん伯母と話をしていたこともいとこと付き合いが続いていることも。

これからも何も言うつもりはない。

私は今自分の家のことができない。やる気が起きない。

更年期だから無理もない。

なのに毎日母の家を訪問しなくてはならない。

自分の家のこともろくにできない私が、なぜ母の家のことまでやらなければならない。

精神科の主治医に、「ご飯を作って食べさせているのか?」と聞かれたときに、「こいつは信用できない」と思った。

もともと一緒に暮らしていないのに、なぜ私が母の家の中のことまでやらなければいけないのか分からない。

結婚して親の戸籍から抜けた時点で、血はつながっているけれど、もう「他人」だ。

だって、他家に嫁いだんだから。

本当なら夫の両親と同居している立場だ。

あんな人たちだけど、母よりはましだから同居でもしておけばよかった。

今さらだけど。

まあ、向こうだって私のことは嫁とは「認めていない」から、お互い様だけど。

伯母が介護を受けていることを知って、自分も伯母よりはもっと「えらい(体が)」んだから、介護してもらいたい。買い物や料理をしてもらって、かいがいしく世話をしてもらいたいなどとぬかしやがる。

幼馴染の人が毎日伯母を訪問して、夜遅くまで一緒に過ごしていると聞き、なんか私に対する「嫌み」かと思う。

もう死んでしまいたい!!!!!!

だってあのくそ女がいきている限り、毎日訪問して毎晩電話をして、毎回嫌みを言われるような生活は、もう嫌だ!!!!!

私は何のために毎日行っている!!何のために毎晩電話をかけている。

いいかげんにしろ!!!!

うつ病なんて母の場合は、あまりひどくない、ただの怠け者でわがままで身勝手なだけ。

本当にひどいうつ病なら、病院が退院させるはずがない。

あの主治医なんてくそだ。今すぐ医者をやめてほしい。医療免許を取り消すようなドジをやればいい。

私が自殺をして(ちゃんと死ぬんだけど)、あのくそ医者を告訴してやろうか!!!

新聞、テレビ、国、市、県にも「遺書」を送りつけてやりたいぐらい。

あんな女なんか、最後はだれにも相手にされずに孤独死すればいい!!!!

あんな女が親なら生まれてこなければよかった!!!!

いっそのこと、無理心中でもして私を殺してくれればよかったのに。

もう嫌だ!!!!!

 

実母にのぞむこと

毎日行くのは嫌だ。

毎晩電話をかけるのは嫌だ。

病院は行きも帰りもタクシーを使え。

過去のことをグジグジ言うな。

いい加減現実を見ろ。

娘を召使のように扱うな。

人間だ。

私の実の父親の悪口を言うな。

あれだけ世話になっておいて、姉や姪の悪口を言うな。

私にとっても親戚だ。

私から親戚を奪うな。

今度はおまえの娘に何か生まれてきたくない。

もう人間に生まれるのは嫌だ。

日本人に生まれるのも嫌だ。

 

次女にのぞむこと

たいしてうまくもないくせに、フルートを欲しがるな。

送り迎えはもうしたくない。

部活関連のイベントには二度と参加しない。

今年の定期演奏会にはいかないことに決めた。

長女にのぞむこと

高望みはするな。

大学はあきらめて就職しろ。

お弁当はもう作りたくない。

夫にのぞむこと

お弁当はもう作りたくない。

退院後

母は昨年11月末に退院した。

以後、私が毎日母に会いに行っている。

お休みをもらえたのは、年明け後元旦と2日のみだ。

主治医には「投薬治療だけではよくなりません。家族の協力がないと」と言われた。

家族が「犠牲」になれってこと?

もう医者は信用できない。

介護サービスを受けられるようにと、市役所の人間が派遣されてきた。

ヘルパーを受け入れられる人ならば、「うつ病」になどかかるはずがない。

私はそう思っている。

市役所も、介護サービスも、医者も信用できない。

母は「うつ病」になる以前から、もともと生まれつき「わがまま」だ。

もちろん、不満を感じながらも毎日会いに行っている。

いつか限界がくることだろう。

恐ろしいことをしでかす前に、自分で命を絶つまでのこと。

私だって、いつかは老いるだろう。

もちろん母だって。

けれどももしも母が90歳まで生きたら、その時私はいくつなのか?

今の母の年には達しているだろう。

その時、今の母がしていることを、自分も娘たちにするのだろうか?

それだけは嫌だと思う。

母は私がこれほどまでに苦しんでいることを知らない。

毎日布団に寝っ転がりながら、私が来るのを待ち構えていて。

私が来ると、テレビはつけていても音は出さずに、くだらない話を時には人の神経を逆なですることまで、平気で話す。

こちらももう慣れてしまっているので、話は左の耳から右の耳へとそのまま流れていく。

行きさえすれば満足するのだ。たとえ、1時間だろうと30分だろうと。

けれども、毎日行くということは、働きに行くことはできないのだ。

働きに行きさえすれば、ひと月当たり10万円は稼げるというのに。

夫の稼ぎだけで、家のローンや娘たちの学費、結婚資金などどうやってたくわえることができる?

母が援助してくれるのならともかく。

まあ、たとえ援助をしてくれると言われても、断固として断るけれど。

私が母に望むことは、病気の完治ではない。

そんなことには興味はない。

良くなろうが悪くなろうが、そんなことは私にはもうどうでもいいこと。

私が望んでいるのは、私自身がこの先幸せな生活をしていくこと。

母親なら娘の幸せをまず第一に考えてほしい。

それがもう無理なことは分かっているので、私は私の特技を使って、母の今の状態私の追い詰められた心情を文章の形で、世の中に暴露してやろうと思う。

もちろん、実名は使わない。

物語の結末は決めてはいない。

私自身が命を絶つことで終わるのか、母が私の気持ちをくんで、父の死をきちんと受け入れて、叔母や従姉に謝罪し、残りの人生を穏やかに過ごすと誓ってくれるのか。

まあ、私は自分しか信用していないので、母のきもちがこの先どう変わっていくかはわからないけれど、自分のことならばわかる。

平穏な人生で幕を閉じるか、悲しみを抱えて死を選ぶか、その二つしかない。

 

 

 

どうすればいいのか

母はうつ病で入院している。

主治医によれば、21日間の「お約束入院」だそうだ。

つまり、21日経過したら放りだされるってこと。

薬だけでは治療はできない、家族が協力をしてケアをしないとだめなんだと。

一人でいられないのであれば、ヘルパーや私が絶えず母を訪問しないといけないのだと。

母がヘルパーを受け入れるとは思えない。

私が出した妥協案は、私のところに来て母が昼ぐらいから夜ごはんの後まですごして、今母がいる家には寝るためだけに変えるというもの。

つまり、私は次女を学校へ送り届けたら急いで家に帰り、入浴や犬の散歩を済ませて、母を迎えに行き、母と一緒にお昼を食べ、買い物をし、犬の散歩をし、晩御飯の支度をして、娘たちの帰りを待ち、次女は迎えに行って、母と娘たちと晩御飯を済ませて、夜10時ぐらいに母を送っていくというもの。

こんなことをいつまで続けられるというのか?

医者は、21日以上は病院へ置いておけないという。

なぜなんだろうか?

私は次女が入院する直前まで、母のところへはほとんど毎日通っていた。

次女が入院してからも、母の外来の日には、帰りは付き添って帰った。

確かに、毎日の訪問や夜の電話が途切れたことは確かだけど、それって私や次女のせいってこと?

母の病気はうつ病だから、家族のケアが必要だ、医師が処方する薬だけでは改善できない、ここまでは分かる。

今私が見た限りでは、母が家に戻って、たとえ昼間から夜にかけてうちに滞在したとしても、翌日私が迎えに行くまで一人でいられるかどうかわからない。

それに、仮に私が母と毎日を過ごしたところで、次女の送り迎えは今年いっぱいはやらないといけないと思うし、次女は退院したけれど、病院へは行かないといけない。

私だって、夜はバレーに行ったり、映画も見に行きたいし、12月になれば忘年会や懇親会もあって、夜家を空ける機会が増えるだろう。

母が家にいることで、それらのことができなくなってしまうのは嫌だ。

母が病院で、作業に没頭するのが嫌なように、私も母の世話をすることで、今まで自由にできていたことが、一つたりともできなくなってしまうのは嫌だ。

まあ、母が私がつくしても変わろうとしなければ、最後は私が犬を道連れにして死ぬだけだ。

私は結構周りに「わあわあ」言っているんだけど、だれも耳を傾けてはくれないから。

誰にも理解してもらえないならば、この世からいなくなるだけ。

そうすれば母のことからも次女のことからも解放される。

犬を道連れにするのは嫌だけど、母の世話をすることで、自分が母と同じ病になったりして、娘たちに迷惑をかけるよりは、私と犬とでともに命を絶つ方がいいと思う。

本当にそれしか方法がないのならそうするつもりだ。

そうすれば母は、病院や施設にずっと置いてもらえる。

私がいることで、病院は「家族と一緒にいるほうがいいから」と勝手に思い込んでいるので。

私にしてみれば、母といることがどれだけストレスになっていることか。

母は何も変わらない。父がこの世を去ったことはどう変えることもできない事実なのに、「お父さんよりも私が先にこの世を去るはずだったのに。お父さんが後に残れば」とそればかりを繰り返すし、いまだに過ぎてしまったことで一番上の姉(私の伯母)を恨んでいる。

母は看護師や主治医の前では「私は大丈夫です。娘さえ私の面倒を見てくれれば、ときにはヘルパーさんの世話になってもいい」なんてことを言っているけど、私の前では「あんたが相手して、私を一人にしたら何をするかわからないよ」と半分脅迫めいたことを言う。

私が病気になってしまったらどうするというのか?

というか、いっそのこと私が余命短い「がん」とかにかかってしまったほうがましだ。

病気というだけで何でも通るのだったら、私だって病気になりたい。

ただし「うつ病」は嫌だけど。

自分の面倒を見てもらえないから、うつ病がひどくなったと、看護師にも主治医にも言った。

次女が病気になったのは、私が母の世話にかまけていて、次女の体調の変化に気づかなかったことが原因なのに。

次女が入院したのは、はっきり言って母のせいだ。

飼っていたカメが死んだのも、花壇の花がかれてしまったのも、私がいまだに試験に合格できないのも、外に働きに出れないのも、みんなみんな母のせい。

そうやって直接本人に言ってしまいたい。

ついでに、長女が第一志望の高校に入れなかったのも、もとをただせば母のせいだし、私が生まれつき「斜視」だったのも、アル中男と結婚して、私を妊娠したせいだ。

私が母の娘でさえなかったら、私は斜視にはならなかったかもしれないし、早くに父親を亡くさなかったかもしれないし、一人っ子ではなかったかもしれない。

私だって、母に恨みつらみを言ってしまいたい。

でも言わない。

言ってもどうにもならないし、無差別に誰かを殺してしまうような暴挙に出てもらっても困る。

母の状態は、一人にしたら何をするかわからない状態なのに、病院は21日間しか母を入院させてはおけないと。

つまり、私という人間がどうなっても、母がどうなっても、自分たちは「何をするつもりもない」ということなんだろうか?

かりにそうならば、私はもしもこの世を去ることになったなら、マスコミ各社と市役所と国と病院に、遺書を送りつけるつもりだ。

そして、私の家族には遺言を残して、病院というかその主治医を告訴してもらいたい。

そして母には私がこの世を去ったことを伝えず、私は父が眠っている墓には入らない。

母といっても、私はもう嫁に行ったのだ。娘が他家に嫁げば、たとえ実家の母親であっても、一から十まで思う通りになるわけがない。

それに私は、母のことを「家族」とは思っていない。

母にはもう家族はいない。夫に先立たれたただのさびしい未亡人だ。

私は読めに逝ってしまったのだから、もう母のものではない。

医者にはそれすら分かっていない。

母には私だけ。私の家族はそっちのけで、母の世話に専念しなさいと。

その通りにしたら、私は壊れてしまうだろうし、私の家庭は崩壊する。

私の家庭の中に母の居場所はないし、将来的にも作るつもりはない。

母がうちに来るのも、私の母としてであって、娘たちにとっては他人のおばあさんなんだと、そう思わせてやりたい。

私にとっての家族は、夫と娘二人と、犬だけ。母などはただの世話のかかるお荷物だ。

本当は、主治医にそういって、席を立ってやりたかった。

病院で面倒を見てくれないのなら、施設を探すからもういいと。

見つからなかったら、母を見捨てて私は命を絶つと、そういってやりたかった。

こんなことをグチグチ書くのは嫌だし、みじめだけど、今の正直な自分の本音なのだ。

 

 

ひとりごと

この世に生れてこなければよかった。