母はうつ病で入院している。
主治医によれば、21日間の「お約束入院」だそうだ。
つまり、21日経過したら放りだされるってこと。
薬だけでは治療はできない、家族が協力をしてケアをしないとだめなんだと。
一人でいられないのであれば、ヘルパーや私が絶えず母を訪問しないといけないのだと。
母がヘルパーを受け入れるとは思えない。
私が出した妥協案は、私のところに来て母が昼ぐらいから夜ごはんの後まですごして、今母がいる家には寝るためだけに変えるというもの。
つまり、私は次女を学校へ送り届けたら急いで家に帰り、入浴や犬の散歩を済ませて、母を迎えに行き、母と一緒にお昼を食べ、買い物をし、犬の散歩をし、晩御飯の支度をして、娘たちの帰りを待ち、次女は迎えに行って、母と娘たちと晩御飯を済ませて、夜10時ぐらいに母を送っていくというもの。
こんなことをいつまで続けられるというのか?
医者は、21日以上は病院へ置いておけないという。
なぜなんだろうか?
私は次女が入院する直前まで、母のところへはほとんど毎日通っていた。
次女が入院してからも、母の外来の日には、帰りは付き添って帰った。
確かに、毎日の訪問や夜の電話が途切れたことは確かだけど、それって私や次女のせいってこと?
母の病気はうつ病だから、家族のケアが必要だ、医師が処方する薬だけでは改善できない、ここまでは分かる。
今私が見た限りでは、母が家に戻って、たとえ昼間から夜にかけてうちに滞在したとしても、翌日私が迎えに行くまで一人でいられるかどうかわからない。
それに、仮に私が母と毎日を過ごしたところで、次女の送り迎えは今年いっぱいはやらないといけないと思うし、次女は退院したけれど、病院へは行かないといけない。
私だって、夜はバレーに行ったり、映画も見に行きたいし、12月になれば忘年会や懇親会もあって、夜家を空ける機会が増えるだろう。
母が家にいることで、それらのことができなくなってしまうのは嫌だ。
母が病院で、作業に没頭するのが嫌なように、私も母の世話をすることで、今まで自由にできていたことが、一つたりともできなくなってしまうのは嫌だ。
まあ、母が私がつくしても変わろうとしなければ、最後は私が犬を道連れにして死ぬだけだ。
私は結構周りに「わあわあ」言っているんだけど、だれも耳を傾けてはくれないから。
誰にも理解してもらえないならば、この世からいなくなるだけ。
そうすれば母のことからも次女のことからも解放される。
犬を道連れにするのは嫌だけど、母の世話をすることで、自分が母と同じ病になったりして、娘たちに迷惑をかけるよりは、私と犬とでともに命を絶つ方がいいと思う。
本当にそれしか方法がないのならそうするつもりだ。
そうすれば母は、病院や施設にずっと置いてもらえる。
私がいることで、病院は「家族と一緒にいるほうがいいから」と勝手に思い込んでいるので。
私にしてみれば、母といることがどれだけストレスになっていることか。
母は何も変わらない。父がこの世を去ったことはどう変えることもできない事実なのに、「お父さんよりも私が先にこの世を去るはずだったのに。お父さんが後に残れば」とそればかりを繰り返すし、いまだに過ぎてしまったことで一番上の姉(私の伯母)を恨んでいる。
母は看護師や主治医の前では「私は大丈夫です。娘さえ私の面倒を見てくれれば、ときにはヘルパーさんの世話になってもいい」なんてことを言っているけど、私の前では「あんたが相手して、私を一人にしたら何をするかわからないよ」と半分脅迫めいたことを言う。
私が病気になってしまったらどうするというのか?
というか、いっそのこと私が余命短い「がん」とかにかかってしまったほうがましだ。
病気というだけで何でも通るのだったら、私だって病気になりたい。
ただし「うつ病」は嫌だけど。
自分の面倒を見てもらえないから、うつ病がひどくなったと、看護師にも主治医にも言った。
次女が病気になったのは、私が母の世話にかまけていて、次女の体調の変化に気づかなかったことが原因なのに。
次女が入院したのは、はっきり言って母のせいだ。
飼っていたカメが死んだのも、花壇の花がかれてしまったのも、私がいまだに試験に合格できないのも、外に働きに出れないのも、みんなみんな母のせい。
そうやって直接本人に言ってしまいたい。
ついでに、長女が第一志望の高校に入れなかったのも、もとをただせば母のせいだし、私が生まれつき「斜視」だったのも、アル中男と結婚して、私を妊娠したせいだ。
私が母の娘でさえなかったら、私は斜視にはならなかったかもしれないし、早くに父親を亡くさなかったかもしれないし、一人っ子ではなかったかもしれない。
私だって、母に恨みつらみを言ってしまいたい。
でも言わない。
言ってもどうにもならないし、無差別に誰かを殺してしまうような暴挙に出てもらっても困る。
母の状態は、一人にしたら何をするかわからない状態なのに、病院は21日間しか母を入院させてはおけないと。
つまり、私という人間がどうなっても、母がどうなっても、自分たちは「何をするつもりもない」ということなんだろうか?
かりにそうならば、私はもしもこの世を去ることになったなら、マスコミ各社と市役所と国と病院に、遺書を送りつけるつもりだ。
そして、私の家族には遺言を残して、病院というかその主治医を告訴してもらいたい。
そして母には私がこの世を去ったことを伝えず、私は父が眠っている墓には入らない。
母といっても、私はもう嫁に行ったのだ。娘が他家に嫁げば、たとえ実家の母親であっても、一から十まで思う通りになるわけがない。
それに私は、母のことを「家族」とは思っていない。
母にはもう家族はいない。夫に先立たれたただのさびしい未亡人だ。
私は読めに逝ってしまったのだから、もう母のものではない。
医者にはそれすら分かっていない。
母には私だけ。私の家族はそっちのけで、母の世話に専念しなさいと。
その通りにしたら、私は壊れてしまうだろうし、私の家庭は崩壊する。
私の家庭の中に母の居場所はないし、将来的にも作るつもりはない。
母がうちに来るのも、私の母としてであって、娘たちにとっては他人のおばあさんなんだと、そう思わせてやりたい。
私にとっての家族は、夫と娘二人と、犬だけ。母などはただの世話のかかるお荷物だ。
本当は、主治医にそういって、席を立ってやりたかった。
病院で面倒を見てくれないのなら、施設を探すからもういいと。
見つからなかったら、母を見捨てて私は命を絶つと、そういってやりたかった。
こんなことをグチグチ書くのは嫌だし、みじめだけど、今の正直な自分の本音なのだ。