母親は二度結婚して、二度未亡人になっている。
私は、最初の結婚でもうけた子どもだ。
実の父親は、私が6歳の誕生日を迎えて1カ月もたたないうちに、この世を去った。
母が再婚したのは、私が小学校3年生の時。
実は再婚した父との間に、子どもを妊娠したらしいのだが、まだ小学生の私には何も知らされずに、その当時まだ健在だった「総祖母」の付き添いのもと、なき者(堕胎)にされた。
母は、最初の夫との間にも、私の前に1回、私が生まれた後に1回妊娠をしていて、私が生まれる前のは、「流産。私が生まれた後のは子育てがえらいのを理由に「堕胎」した。
私を含めて2度の結婚生活の中で4回も妊娠しているのに(出産は1回だけ)、「私は体が弱いから、長生きしないよきっと」と、ずっと言い続けている。
二度目の夫との間にできた子を下したことについては、「あんたのためだよ」と後から言われた。
そもそも、私は母が私の前に一人「流産」したことしか最初は伝えられていなかった。
亡くなった父たちも、そのことについては私に直接話をすることはなかった。
亡くなった人のことを書くのは難しい。
けれども、母や私のことを気にかけながらこの世を去ったことだけは分かっているつもりだ。
母は最初の夫(実の父)については「あの飲んだくれのせいで私は苦労させられた」とののしることがある。
私が生まれたことも「苦労」の一つ?
二度目の夫(養父)については、「気分の難しい男で、あんた(私のこと)のために、気を使った。工場へパートへ行っている時も、家に帰りたくなかったけど、あんたがいたからねえ」と言われた。
養父は確かに「気分の難しい人」ではあったけれど、私や母にぜいたく(母は好きなだけ洋服を買い、私は高校も短大も出してもらえて、結婚式も挙げさせてもらった)をさせてくれた。
亡くなった父たちは、欠点もあったがいいところもたくさんあったと思う。
特に2年前に亡くなった養父については、厳しいことも言われたけど、実の父親のように思っていた。
「本当のお父さんの代わりをしてくれたありがとうね」と思っている。
私はなくなった人には、たとえ生前嫌なことを言われたとしても、すべて水に流していい思い出だけを大切にしていたいと思う人だ。
もちろん、私だって、いつもいい人ではいられないので、「飲んだくれの子どもに生まれたばっかりに、目が悪くて(斜視、手術で改善された)になって、生まれてこなければよかった」と思ったことも何度かある。
私が生涯独身を通さず、結婚して二人の子宝に恵まれたのは、幸運だと思う。
母を仲間はずれにしていたつもりはないのだが、いつも誘っても「えらいでいいわ」という答えしか返ってこない人を毎回誘うこともしなくなっただけ。
子どもを連れて家族で、まだ健在だった養父と母のところへ遊びに行ったことだってあるし、食事に出かけたことだってある。
自分も夫も同じように「父」となり、「母」となった。
生きている以上はいつかは「亡くなる(この世を去る)」ことは分かっている。
時間は動いているので、亡くなった人の分も自分は毎日を大切に生きていきたいと思う。
縁があって家族になった、今は思い出になってしまったけれど、「会えてよかった」と思っている。
人は、だれかとあって結びつくために生まれてくるのだと思う。
ぶつかりあったっていい、より分かりあえればと思う。
死んで思い出になってしまう前に、精いっぱい生きたいと思う。
亡くなった人だって、見えないだけで、いつも見守ってくれていると思うから。
ありがとう、二人のお父さん。私はどちらも好きだったよ。生きている時にちゃんと言いたかったけどね。
今度お墓参りにでも行ってこよう。